難波真実「ひとこと便り」

三浦綾子記念文学館(北海道旭川市)事務局長による、備忘録を兼ねた情報発信です

「心というものは目に見えないもののようでありながら、実は一番敏感に、伝わるものである」

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「心というものは目に見えないもののようでありながら、実は一番敏感に、伝わるものであるということをつくづくと、私は感じました。だれも私に寄ってこない状態というのは、いったいどういう状態なのでしょう。それは、私がだれにも必要とされない存在であることを意味していると思います。私が自分のことばかり考えていて、人のことを考えてあげなかったときは、私はだれにも必要とされなかったわけなんです」

 

「私も、その廃品的存在だったわけです。その廃品的人間の私でも、神を信じた時、神は用いてくださるようになりました。ですから、神にとっては、廃品的存在は全くないのだということになるわけです」

 

「人に希望と勇気を与える生き方というのが、ほんとうの人間の生き方じゃないかと、私は、そのころから感ずるようになりました。そして、人を生かすことが、すなわち自分が生きることでもあるのですね。人を生かすということは、結局は、その人のよいものに目を向けてやることじゃないかと思います。つまり愛のまなざしを向けることではないかと思います。ほんとうに生きた人間というのは、その死後もなお、人の胸の中に生きつづけていく人間じゃないかと考えます」

 

長くなりましたが、エッセイ集『愛と信仰に生きる』三浦綾子 1922-1999 北海道旭川市)の、「『生きる』ということについて」からの引用です。このエッセイ集は没後に編集された本で、引用した文章は1970年に雑誌『信徒の友』に掲載されたものです。1970年といえば、『塩狩峠』の連載が終わり、単行本が刊行されてから少し経った頃であり、『続氷点』の連載が始まった年ですね。この時期にこの文章が書かれたというのが、私にはなるほどと思わせられます。

この文章の後に、「『愛する』ということについて」という文章が載っているのですが、そこで『塩狩峠』のことに触れて、モデルの長野政雄さんの生き方を紹介しています。この2つの文章は双子というか、兄弟のような文章だなと感じます。

『続氷点』というのは、綾子さんの初期の集大成のようなものだと思っていますが、この時期、“愛”ということをぎゅっと凝縮して捉えていたのではないか、そう思います。人の生き方というものが、愛に根ざすのだというメッセージがくり返し語られていて、『ひつじが丘』で顕著に表れ、また違った側面から『塩狩峠』で展開されました。そして、『続氷点』に続くわけです。「人を生かすことが、すなわち自分が生きることでもある」という言葉が、ずっしりと横たわりますね。

短大時代、教育原理の時間に、「愛とはなにか?」という問いかけがあり、ひたすら考えていた時期がありました。先生の表現によれば「“なくなってほしくない”という強い思い」を指すということでしたが、なるほどと思う一方、それが“思い”で完結するのかというところに不完全さを感じました。たしかに、「愛する」という動詞ではないわけですから、そこに動詞的な説明を加えることのほうが不自然なのかもしれませんね。けれども若さゆえか、一方的な思いということだけで説明できるようには思えず、おそらくその当時に、綾子さんのこの文章を知っていれば、得心したのではないかと思います。

「生きる」というのは、“生かす”、“生かされる”という関係性ですね。人と人との関わり。綾子さんは、そこに「神によるならば」という信仰の軸を置くわけですが、私なりに表現するならば、「人を生かそうとする人の営み(関わり)こそが、神のわざである」と思うのです。人と人とが関わり合うところに、神は働かれる。

「実に、神の国はあなたがたの間にあるのだ」(ルカによる福音書17章20節)という言葉を思い出します。人と人との間に神はおられる。そのように思います。

そして、その“生かす”、“生かされる”の初めは、「まなざし」だと綾子さんは語ります。ここが綾子さんらしさですね。多くの作品やエッセイを通してにじみ出てくるのは、教員であった綾子さんのまなざしです。ほんとに温かい。といいますか、慈しみに満ちています。『積木の箱』では、人間の身体のうちで一番罪深いのが目だと語るのですが、その、同じ目でありながら、人は愛のまなざしを向けることができる。そこに人の可能性の豊かさを感じます。愛のまなざしを注がれるだけで、人はどんなにうれしく、心安らかになり、喜びがあふれることでしょうか。自分の目の使い方をあらためてみる必要を感じました。人にまなざしを注ごうとするときに、そこに自分の課題のようなものがあらわれるような気がします。まなざしを意識して歩んでみようと思いました。

では、また! 難波真実でした。